右 と 左

「右」と「左」の「ナ」の部分って、どうして書き順が違うの?…と、この間会社の人に聞かれた。



「右」は「ノ」から、「左」は「一」から書き始めなければならない。

などということを、小学校ではかなりうるさく習う。先生によっては「右」の「ノ」の方が短いとまで教えてくださるらしい。親としては「大変だなあ」と思うが、子供にとっては「あのカブトムシとこのカブトムシのツノの違い」みたいなもので、けっこうマニア心をくすぐるんじゃなかろうか。ちょっと漢字に興味がある子は、かえって燃えるかもしれない。

ところで、なぜこんな違いが生まれたのか。これは、二つの字の原型を見れば一応納得がいく。
…と、ここでこの画面上に二つの原型をお見せしなければならないが、僕はこのブログ上に描画を載せるという複雑な技ができないので、他のホームページで見つけた良い例を引用させていただく

つまり「ナ」の部分はいずれも「肘から先の手の形」を描いたものだが、それぞれ「右手」と「左手」を描き分けたものであり、つまり向きが違っていた。「右」の場合は「ノ」の部分がてのひらを表し、「左」は「一」がてのひら部分。それが隷書、楷書と経るうちにどちらも、右手で書きやすい「ナ」の形に整理されてきた。ただ、「重要な情報から先に表現する」というコミュニケーション上のお約束が、書き順の制定に影響を及ぼしたということだろう。

昼飯時にいきなりこの質問をされてたじろいだ僕ではあったが、まあ何とかこの説明を思い出して面目を施した。質問してきた人もその図を紙ナプキンに書いたりして納得し、居合わせた後輩もしきりに感心してみせたりして、お互いに文化の香り高いランチを楽しんだのだった。

と こ ろ が 。
中国では違うらしいですね。

僕が持っている電子辞書は、漢和辞典と中日辞典について「筆順表示機能」がついている。目的の字を表示させて「筆順」ボタンを押すと画面が切り替わり、書き順を最初からアニメーションで教えてくれる。これまで中国語の漢字の筆順などまともに考えたこともなかったが、今回ついでに調べてみたら、中国では「右」も「左」も「一」から始めるというじゃないですか。

俄然、気になり始めた。日本と中国で書き順の違う漢字は、実はけっこうたくさんあるんじゃないのか。この例から推測するに、僕らが「難しい書き順」と思っている漢字は、中国ではもっと単純に書いていると考えられる。そうした漢字でパッと思い浮かぶものと言えば…

「必」がある。

学校で習うこの字の書き順は、「ヽ」→「ソ」→「义」と来て、その左右に点を打つ。
異様な書き順と言っていい。小学四年頃にこの字を習った時の驚きは今でも思い出せる。それまでは当然、「心」に「ノ」と書くと思っていたからだ(もっとも習う前はこんな字を書く機会などなかったと思うが)。

この字の成り立ちも調べてみた。「心」とは何の関係もない。真ん中の「义」は「くい(弋)」であり、左右の「ノ」と「ヽ」は、「くいが折れないように両側から締め付けているヒモ」だそうだ。最初に「くい」を書いて、ひもで締めて、という、これも絵文字時代を色濃く反映した書き順だ。

では中国ではどうか。電子辞書で調べてみたら、「心」を3画目まで書いたところで「ノ」を書き、おしまいに右端の「丶」を書く、推測しやすい書き順だ。漢字の源たる中国でそんな実用本位なことをしているのがわかると、字の成り立ちなどによってわざわざ書き順を区別しているのが、何やらあほらしいような気もしてくる。

漢字の書き順というと、どうも最初っから決まっているような印象を持ってしまうが、考えてみると、きちんと統一されたのはそう昔のことではないはずだ。おそらく、初等教育のあり方が全国にわたって画一的に定められた以降のことじゃないか。というところでWikipediaを見てみたところ、

昭和33年(1958年)『筆順指導のてびき』が公布され、教育の混乱をなくし便宜を図るために『当用漢字別表』の基本的筆順を統一した。(教育漢字 の項)

日本の教育漢字881字の基本的筆順の根拠とされる『筆順指導のてびき』(1958年)では、字源を根拠にしたものがあるのに加えて、行書の筆順との統合を図ろうという意図が見られ、少々複雑な筆順体系となっている。 (筆順 の項)

とある。一方中国では、

現代の中華人民共和国では1999年に国際文字コード約20000字に定めた標準的な筆順は全体の整合性を重視して統一されている (教育漢字 の項)

だそうだ。どうやら、「右」と「左」、それから「必」に見られるような日中の書き順の違いは、各々の筆順制定の「基本思想」であるらしい。どうしてこんな違いが生まれたのか。

…思うに、ロマンの問題ではないだろうか。

現在の日本語は、かなと漢字を自然に併用しているが、それでも多くの日本人は、漢字が高等、かなは拙いという意識を持っている。珍しい漢字を知っていたり、漢字の成り立ちについて語れたりすると、なーんか尊敬されたりする。漢字は生活必需品である一方、「古代の息吹」とか「異国情緒」を感じさせる、趣味の対象であったりする。ある種の教養の高い人ほど、そうした意識のバイアスは大きいと言えるかも知れない。戦後に国語改革を担った人々は、そうしたロマンを知らず知らず、日本の字の統一規格の中に埋め込んだのではなかろうか。

中国にしてみれば---想像だが---そんなことは言っていられない。漢字はもっと言葉に密着している。単なる「道具」として消化してしまう必要がある。道具の使用法は単純である必要があり、ロマンの入り込む余地はおそらく日本よりずっと少ない。たとえば简体字の中にも、古い字体を復活させたもの(從→从、雲→云、網→网など)や、草書体からつくったもの(書→书、長→长、車→车など)が多いと聞くが、それも古典回帰などではなく、単に覚えやすくする発想によるものだろう。

なぜ、正しい書き順を守る必要があるのか。この疑問に対して学校がくれた答えは「美しい字を書くため」だったと思う。今でも多分そう教えているのだろう。だが実は、文化や国の事情で書き順などはどうにでも変わりうるわけだ。ただ、一つ言えるとすれば、日本の漢字の書き順は、「漢字に対する日本的な気持ち」をインプットする装置なのではないだろうか。


あ。

そういえば、台湾や香港では「右」「左」「必」をどう書くんでしょうか?
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by uedadaj | 2007-06-11 19:55 |


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