電気と文芸

同じ言葉でも、時代が違うと、喚起するイメージもかなり違ったりするようだ。



『寺田寅彦随筆集』を読んでいる。作者は物理学者でありながら文学や芸術にも造詣が深く、理系と文系の視点が融合した文章を、新聞や文芸雑誌などに多数書いた。それらを集めたのがこの本だ。

第一巻は明治末から大正十一年あたりの文章で、各篇の末尾には初出年月と掲出誌が記されている。その掲載誌の題名にも、何やら当時の感覚が感じられておもしろい。なになに、『ホトトギス』、『渋柿』、『東京朝日新聞』、『科学と文芸』、『東洋学芸雑誌』、『アララギ』、『中央公論』、『新文学』、『電気と文芸』 ゑっ?

電 気。 と、 文 芸。

まじですか。そういう名前の雑誌が、大正時代にはあったんですか。一体どんな雑誌だったんだろう?気になってエッセイを読むどころではなくなり、PCを開けた。

Googleで"電気と文芸"の検索結果は、26件。だがおおかたは、作家の発表誌などのデータとして示してあるだけ。どんな雑誌なのかについて説明したサイトは見つからない。一つだけ、この雑誌に関する資料を収録していそうな書物のHPを見つけた。ううむ。いかにもその辺の書店になさそうだ。近くの図書館にも置いてなかった。しかも金一万二千六百円也、勘弁して下さい。ともあれ、そのサイトに目次が掲載されており、確かに当該誌らしい名はあった。が、なぜか『電気と文芸・枯野』と書いてある。…わけがわからなくなってきたので、ネット検索はあきらめた。

上に挙げた雑誌名には『科学と文芸』というのもあるが、これは別に違和感がない。科学の進歩による夢だのロマンだの新しい世界観だのが、文芸にもたらす影響は容易に想像できる。ネット前後では文学が変わったと言われるし、たぶんアポロの月着陸以降も文学は変わったろう。何よりも、「科学」を語ることの面白さというのがある。寺田寅彦の文章じたい科学エッセイと言えるし、それにHGウェルズが「タイムマシン」を書いたのが1895年だそうだからまあ、大正時代のSFなんかもこの雑誌にはあったかもしれないXD。科学は今もずっと発達し続けているもので、陳腐化した言葉とは言え、そのイメージは基本的に変わっていないのだろう。

だが「電気」と「文芸」となると、現代の感覚では途端にヘンテコな感じになる。大正時代には、「電気」という言葉が「科学」と同じく、夢とかロマンとか世界観の変化なんかを感じさせたのだろうか。きっとそうなんだろうと想像しようとしても、どうにもしっくりこない。笑ってしまう。

『電気と文芸』が創刊されたのは大正九年8月だそうだ(ネットで分かった唯一の事実)電気事業連合会のHP「電気の歴史」によると、この時期すでに東京−横浜間の電車が走り、工場の電化率が50%を突破。街灯は明治時代に普及が進んでおり、おおかたの家庭にも電灯がともっていた。ただし、ラジオ放送はまだ始まっていない。テレビも冷蔵庫も洗濯機も昭和期だから、この頃は一般人が想像もできないものだったろう。

つまりこの頃、「電気」という言葉は徐々に人々の耳になじんできたが、まだ正体がよくわからない、でも生活を便利にしてくれる「ヨイモノ」というくらいの意識だったのだろう。何しろ、小さなガラス玉一つで家の内外がパアッと明るくなった。それだけでも世界は少し違ってみえたはずだ。ちょっと知識のある人ならば、このエネルギーの未知なる可能性も感じ取れたに違いない。その辺の感覚から、文芸への影響を空想してみるしかない。「電気」はその頃、きっと夢や感性や想像力を刺激する存在だったのだ。きっと。

明治大正生まれの人なら、あるいはこの雑誌のことを覚えていて、その頃「電気」という言葉が放っていたイメージもわかるのかもしれない。でも、僕が知っているその世代の人は、最後の一人(祖母)が去年亡くなってしまった。もっともそんな雑誌、知っていたとも思えないが。

さて最後にせっかくだから、この本を読んで(まだ途中だが)「おっ」と思った一節を。

 私は生命の物質的説明という事からほんとうの宗教もほんとうの芸術も生まれてこなければならないような気がする。ほんとうの神秘を見つけるにはあらゆる贋物を破棄しなくてはならないという気がする。(『寺田寅彦随筆集第一巻』「春六題」より)
[PR]
by uedadaj | 2007-02-01 18:46 |


<< 醬子 釀子 粉 艾芜《漂泊杂记》 >>