(台湾《2535雜誌》2009年9月号掲載--掲載文は繁体中文)
<テーマ:ゴミ> 小石川の古屋と「隠れゴミ」 東池袋で打合せした後、春日通りを本郷方面へ歩いた。小石川に差し掛かるあたりで、通り沿いに並ぶビルやマンションの間にぽつんと古い家があるのを見かけた。 左右はもう歩道に舗装されており、一軒だけ張り出すように立っている。道路拡張に伴い、立ち退きを迫られているのだろう。まだ頑張ってはいるものの、シャッターも玄関も窓も閉め切ってあり、生活の気配は感じられない。取り壊しを待つだけという感じだ。二階のベランダの隅っこに、白いゴミ袋や使い古しの器具などがいくつも積んである。そのうち廃棄物処理場に運ばれ、世の中の「ゴミ問題」の一翼を担うことになるのだろう。 僕は道路の向かい側から、その家やゴミ袋をデジカメに収めた。 この時使ったデジカメ、実は自分のではない。自分のはその2日前、うっかり水に落として壊した。すぐに修理へ持って行ったが、数日後に取材があり、とうてい間に合わないので、この日東池袋の打合せに同席した仕事仲間に、デジカメを借りた。借りた2時間後、早速そのカメラの「初仕事」となったわけだ。 操作ボタンなどの設計が違うので最初戸惑ったが、慣れてくるとなかなかいいカメラだ。持ち主は「何年か前のだから」と済まなそうにしていたが、とんでもない。僕のヤツよりもやや小振りなのに、解像度は、僕のが4Mでこいつは7M。さらに、液晶画面がでかく明るい。起動が非常に早く、ズームやシャッターの反応もいい。それに手ぶれ補正機能があって失敗が少ない。後で調べてみたら、僕のより2年ほど新しく、価格帯は大体同じだった。たった2年の違いで、基本性能がこんなに変わるのか。こうなると、迷わざるを得ない。わざわざカネ出して自分の古いヤツを修理するか、それともいっそ買い替えるか... 写真を撮り終え、春日通りを歩きながら考えた。さっきの廃屋のゴミ袋と、修理に預けている僕のデジカメ、実は似た境遇にあるんじゃないか。 「ゴミ」として廃棄される物には2種類ある。一つは、世の中での役割を既に終わり、そのまま捨てるかリサイクルするしか道がないもの。たとえば生ゴミや鼻紙、商品の包装や今日以前の新聞などがそうだろう。もう一つは、持ち主が「捨てよう」と思った時点で、まだ使えるかどうかに関わらずゴミになるもの。もう着ないけどタンスにしまいっぱなしにしてある流行遅れの服。全然読まないがまだ捨てないでいる本。引っ越しの時持って行きにくい家具など。主人の考え一つで運命が決まる「隠れゴミ」だ。あの小石川で見たゴミ袋にも、もしかするとその手のものが入っているんじゃないか。 そして僕のデジカメが今、まさに「道具」と「ゴミ」の境界線上にある。特に最新型の家電製品や流行の先端をいく物は、持ち主に買い替え欲を起こさせやすく、ゴミへと変わる速度が恐ろしく早い。 10日後、メーカーがカメラの修理費見積りを連絡してきた。世間のゴミ問題にはできるだけ加担したくないから、半額程度ならあえて修理して使い続けようと思った所だったが、修理費はなんと、新品時の値段を上回った。しかも係の人が気の毒そうにささやくのだ。 「この値段なら、別にいいのが買えますよ...」 修理部門にまでこんな買い替え圧力が働いてるんじゃ、そりゃあ抵抗できないよなあ。 (中文版はこちら)
by uedadaj
| 2009-10-20 11:29
| 散歩
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