お札

もう1カ月以上前のニュースなのでかなり今さらだが、この際強引に蒸し返させていただく。



最近公・私・網ともにいろいろあって、こちらのブログまで手が回らずにうかうかしているうちに年越しして、はや1月あまり。今や「そんなことあったっけ?」という感じになってしまった事件だが、ちょっと語句楽的に引っかかることがある。

この事件のことだ。…良かった、まだリンク切れしていなかった。とは言え、いつ期限切れになるかわからないさすがにリンク切れしたので、ニュースの要点を簡単に書いておく。

ヒーリングサロンを経営する霊感商法団体が、悩みなどの相談を受けると「先祖の因縁」などと不安をあおったうえ、教義が書かれた書物「神書」やランクごとに値段の違う「ライセンス」と呼ばれるお札のような紙を高額で売りつけていた。…という記事だが、その見出しがこういうものだった。

霊感商法:お札1枚52万円

この見出しを、一瞬「おさつ1枚52万円??」と読んで混乱したのは僕だけだろうか。
…あ、やっぱ僕だけでしたか。すみません。でもそれだと話が終わってしまう。まあ、続けさせてください。

つらい&からい(辛い)、セイブツ&なまもの(生物)、ダイニンキ&おとなげ(大人気)…「同字異音異義語」とか言うらしいですね、こういうの。昔、ある新聞が秋の風物詩である梨狩りを記事にした時に、「大人気なしもぎ放題」という見出しを立てたところ、多くの読者が「おとなげなし もぎほうだい」と読んで「客に失礼だろう!」と抗議が殺到したとかいう話をきいたことがある。

その単語だけを字にすると確かに紛らわしいが、実際は意味や使うシーンにはっきり区別があり、前後をちゃんと見れば普通は混乱を起こさない。「男は辛いよ」を本気で「おとこはからいよ」と読むヤツはまずいないだろう。「生物につきご注意ください」も、よほど特殊なケースでないと「セイブツ」とは読むまい。「大人気なしもぎ放題」はかなりレアでナイスな例だと思う。

ところで、「おふだ」と「おさつ」である。

この2つは、上記に挙げたコンビに比べると、やや立ち位置が近い言葉のような気がする。すごく大雑把な言い方をするなら、どちらも「肯定的な価値を認められる物品」を指す言葉だ。たとえば「お札1枚でケリをつける」、「こんな所でお札を見つけた」。「おふだ」でも「おさつ」でも成立する文は、先の例よりもずっとつくりやすそうだ。そんな2つの言葉が、なぜ今まで書き分けもされずに共存してきたのだろう。

…これは推測に過ぎないが、「おふだ」と「おさつ」は、以前ははっきりした「意味のナワバリ」みたいなのがあって、きちんと書き分ける必要がなかったのではないだろうか。

「おさつ」という読みがいつ生まれたのかわからないが、おそらく「おふだ」よりはかなり新しい。たとえば、日本が近代国家への道を歩む前は、多くの人々にとって「お札」は「おふだ」であったのではなかろうか。そしてたぶん20世紀後半頃、日本が高度成長期を迎えて千円や壱萬円という紙幣を庶民も手にするようになった時期から、もしかすると家計を預かる主婦あたりが「おさつ」という言葉を頻繁に使い出し、優勢になった。逆に「おふだ」は、神社などの空間に限定された特殊な語彙となっていった。

だが、最近その住み分け関係が崩れ始めたのかもしれない。このまま神社の中でひっそり生き続けても良かったはずの「おふだ」が、ここ10年、20年の社会の変化を背景に、存在感を増してきたのではないだろうか。しかも、金銭的価値に一段と近い存在として。

販促活動と宗教活動は、実は良く似た面がある。巷でよく語られる「ブランド戦略」というものの最終目的は、自社のブランドを宗教か何かのように「理屈抜きで信じて」もらうことにある。有名ブランドに群がる人々のことを冗談めかして「信者」と言ったりすることがあるが、本当は冗談になっていない。一方、○○教とかスピリチュアル関係の各種グッズが、部外者から見ると信じられないような高額なのも、ブランドに対する心理と重なる部分があるはずだ。何らかの形で価値を信じているからこそ、原価100円くらいにしか見えないモノにも平気で何万という金を払う。その価値は理屈で説明しにくいほど高くなるし、値崩れもしにくいのだろう。

もともと同じ性質をはらんでいた「おふだ」と「おさつ」。昔はそれでも、たとえば「清い/けがれている」みたいな観念で、存在する世界が何となく分けられていたんじゃないかと思う。だが世の中を見ればわかるように、そんな境界はもはやなくなっている。

別に、そのこと善し悪しを言うのがこの駄文の目的ではないし、そんなことの判断はつけられない。僕としてはただ、紛らわしくなってきた二つの「お札」に、そろそろ別の言い方を与えてあげた方がいいんじゃないかと思うだけだ。

そう言えば、こないだ知ったのだが、中国ではマルチ商法のことを「経済邪教」と呼んでいるそうな。うまいこと言うなあ、と思った。
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by uedadaj | 2008-02-04 20:37 | | Comments(8)
Commented by danmei at 2008-02-04 22:41

つらい&からい(辛い)、セイブツ&なまもの(生物)、ダイニンキ&おとなげ(大人気)…「同字異音異義語」
↑面白かったです。
私はいつも平気で間違えるから、よく職場で笑い話のネタになります。

具体に忘れたが、毎日せめてひとつの言葉を間違ってるよう泣きがします。

確かに、「経済邪教」は「传销」のこと。
传销:
たとえ、
第1个人传6个人
6个人传36个人
36个人传216个人
・・・・・・
即每一步都是每个收到明信片的人再传给下面的6个人,……如此下去,只需仅仅十二步就足以传遍全中国的人口,十三步就足以传遍全世界的人口。
  1 

  6 

  36 

  216 

  1,296 

  7,776 

  46,656 

  279,936 

  1,679,616 

  10,077,696 

  60,466,176 

  362,797,056 

  2,176,782,336 
↑簡単な数学経済学。一番上の人は利益を返ってくる可能性は一番低いですね。

“提成新会员的会员费”或“提成下级会员的销售利润”。←一番怖い销售方式。インチキ商法ですね。
Commented by 花うさぎ at 2008-02-05 16:04 x
うちの娘が楽しみにしている漫画に「ハヤテのごとく」というのがあるのですが、その中に、「ボケた性格の女の子が自動販売機に『お札はここに入れてください』と書かれているのを見て、おふだを入れる」という話が載っていました。

普通は、「おふだ」なんか持ち歩かないから、こんなことありえないですね。まあ、おふだを持っていても間違わないけど。

インチキ商法、あきれます。
スピリチュアルとか、風水とか、都合がよいところだけ信じればいいのに、どうして振り回される人がいるのかと思ってしまいますけど、魔が差してそういうものにはまってしまうことってあるのでしょうかねえ。
Commented by uedadaj at 2008-02-08 11:36
danmeiさん:
単純な話、売り手を増やしたら、その分買い手は減るわけで。
この手の商売って、「どこから金が入ってくるのか」という
一番肝心なことを度外視して語っている感じですね。
…もっとも、一般社会の経済も、その辺を度外視した議論が
多いような気がしますが。
Commented by uedadaj at 2008-02-08 11:45
花うさぎさん:
>都合がよいところだけ信じればいいのに
わはは、
ナイス。ごもっとも。
檀家だのお参りだのお祓いだのが普通だったころは、
誰もがそうやって暮らしていたハズですね、きっと。
Commented by baijinghy0527 at 2008-02-09 13:12
小白どす。新年好っ!

>霊感商法:お札1枚52万円
ワタシ、ぱっとみて、「おれい」って読んじゃいました。
祈祷かなんかを受けるとそのお礼として、一回52万円とられる、と思ったです(汗)。 
この手の怪しい業界では「おれい」の単位は「一回、二回」じゃなくて「一枚、二枚」かな?とまで深読みしてしまった。。。
Commented by uedadaj at 2008-02-13 11:04
白氏:
あ、そーゆー間違い方もありますな。確かに。
枚が業界用語に見えるのも、わかるわかる。
Commented by why at 2008-03-30 00:22 x
興味深い記事ですね。ツボにはまります。
何回も拝読しました。

どころで、どうでもいいことですが、サツマイモのことも、確かおさつと言いますよね。

私はお金がなぜお札になったかに、ちょっと興味があります。詳しくは調べていませんが、辞書には、助数詞とありますね。おみおつけや、お手洗い(例としてあまり適切でないかもしれませんね)と同じく丁寧語なんでしょうが、お金とあからさまに言うのが下品ですから、代用語として、お札が使われるようになったのでしょうかね。

むか~し、中国では、お金という言葉を口にするのを嫌った古人たちは「阿堵物」(大雑把にいうと、あれ、あいつという意味)と呼んでいたらしいです。
お金を話題にするのは品位に欠けることだとされていました。そういう考え方は今でも、一部の中国人には受け継がれていますね。

ちょっと脱線したようで、この辺にしておきます。
Commented by uedadaj at 2008-03-31 19:32
whyさん、
「お札」とは言わないまでも、
紙幣について「札」という字を使う例は、けっこう以前からあるみたいですね。
江戸時代には多くの藩が「藩札」なる地域通貨を発行していたようですし、
ウィキペディアによれば、寺や神社が出した「寺社札」と呼ばれる紙幣もあったとか。
(うーん、この辺になるとますます「お札」と「お札」の境界が曖昧なような)

助数詞としての「札」は、寡聞にして知りませんでした。
永年ご無沙汰の友達に、たまには一札書いてみるか。
(いや借金の証文ではなく)


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