eternity

むかし音楽をやっていた関係で、好きになった曲がある。1950年代に活躍したdoo wopグループThe Cadillacsの「My Girl Friend」という曲だ。

詞はなかなか熱烈な告白ソングだが、曲調はアップテンポでポップ。「I'll be faithful and true...」と殊勝なことを言うや、すかさず「ho,ho,ho,ho!」とふざけたかけ声が入るなど、往時のちゃらいアメリカ黒人男子の生態を偲ばせるものがある。

ところで、曲のサビ部分に

「I feel this way until eternity」という歌詞がある。




「eternity」という単語は、日本語にすると「永遠」または「永久」。

つまり、現在から無限の未来へ続く膨大な「時間の長さ」を表す言葉だと思っていたが、意外なことにこのフレーズでは、時間的到達点を示す前置詞「until」がついている。

ということは、この場合のeternityは、遥か未来の「ある一点」を示している。つまり、アメリカ人が思い描く時間座標軸は、はじっこに「eternity」という終点を有すると考えることができる。

この感覚って、日本人にはないのではないか。

たとえば、キリスト教の世界観には「最後の審判」というのがあるそうですね。世界の終わりの日にキリストが戻ってきてどうのこうの、という。北欧神話にも「ラグナロク」なる終末の日があり、世界が巨大な火に焼き尽くされたりするらしい。そう言えば、マヤ文明の暦にも世界の終わりが設定されていて、それが実は2012年だった(笑)という話もあったっけ。

これらの終末論は、世界が終わった後に新しい世がつくられるような筋立ても多いようだ。西洋の人々は、そうした終末の日を「時間の終着点」とする感覚があるんじゃなかろうか。

で、日本。鎌倉時代には仏教を下敷きとする末法思想というものが流行ったそうだけど、あれは統治の弱体化や社会不安を下敷きとした「世も末じゃ」という感覚であって、無限の未来とは関係ない。ちなみに仏教の開祖であるブッダは「時間には終わりがあるのか」と問われて「知らんがな」みたいな回答をしたという(意訳しすぎ)。

そう言えば、ゴスペラーズの『永遠に』という曲に、「時が止〜まる〜まで〜」というくだりがある。あの一言は、多分に西洋的ファンタジー感覚のもとで書かれた表現のような気がする(作詞者に確かめたわけではないが)。いっぽう、曲名や歌詞には「永遠に」という言い方がたびたび出てくるが、「永遠まで」とは一言も言っていない。そんな言い方は日本語にはないから。

ついでに言うと、日本"語"だけの話でもないようで、日本で発達した数学「和算」は、ある分野では世界的水準に達していたが、「無限大」の概念がなかったために、微分積分の分野で西洋の数学に遅れをとったと何かに書いてあったっけ。

話を戻す。

この「My Girl Friend」の「until eternity」という歌詞。今回久しぶりに聞く機会があって、この一節から連想したのは、西洋絵画に由来する透視図法だった。

無限遠を表す「消失点」をキャンバス上に置く。このやり方、「until eternity」のレトリックに似ていないだろうか?日本の絵画では、「霞みの強弱」によって視点からの距離を表す空気遠近法が昔から発達していたそうだが、無限の遠方を「点」として画面上に設定する発想はなかったらしい。

ああ欧米人は、永遠や無限という概念を「座標上のあるポイント」とする考えがあるのだな。そして、それが彼らの文化のナニガシかを担っているのかも知れないな。というような事を、この曲を再び聴き、ふと思ったわけなのだ。

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by uedadaj | 2014-02-04 22:05 |


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