【2535】事實比八卦還離奇

(台湾《2535雜誌》2010年9月号掲載--掲載文は繁体中文)




<テーマ:ゴシップ> 
事実はゴシップより奇なり

ゴシップといっても、何やらピンとこない。芸能人の誰と誰がつきあっているとか、離婚したとか、逆に誰と誰が犬猿の仲だとか。また誰それが麻薬乱用で捕まったりとか、大豪邸を建てた誰それが実は借金で破産寸前だとか、そういうのがいわゆるゴシップであるとすれば、今時そういうのを実際に話題にしている人々は、少なくとも僕の周りではあまり見かけない。

最近大きく報道されたゴシップは、相撲取りの多くが野球賭博に関わっていて、夏の大会があわや中止になりかけたことぐらいだ。相撲の歴史としては前代未聞だそうだが、実はあまり意外性がない。プロスポーツ関係者が偉くなるにつれて何だか柄が悪くなっていくことは、普段テレビを見ていても感じ取れることであり、隠れてそんなことが行われていても誰も驚かない。

第一、最近は世の中に奇怪な事件が多すぎて、そうした「たわいない」ゴシップが霞んでくるほどだ。しかも、事件の背景に潜むいろんな事情まで、世間の論議を呼びそうな奇妙なことが多い。

たとえば、最近世間を騒がせたのは、戸籍上はまだ生きている「百歳超」の老人が、数十年も所在が確認されていないケースだ。家族に聞いてみると、「何十年か前に家を出ていって、連絡をとっていない」という(この時点でこの人は到底生きていないだろうと容易に推測できる)。また、現住所とされている場所にもう住居はなく、駐車場や公園になっている場合がある。そうした「行方不明」の老人は7月末以来どんどん見つかり、現時点で200人近くに上っている。その中には、全国最高齢者として登録されている人を何歳も上回る人さえいるという。

こうなると、役所の戸籍係の怠慢というだけでは収まらない。つまり、既にいない人に、数十年間も年金とか諸手当を支払っている行政のいい加減さ。それを黙って受け取っている親族がいるらしいこと。しかも彼らの多くは、親族がある日姿を消しても、警察や役所に届けずそのまま暮らしているらしいこと。そして、届け出てもちゃんと処理されるとは限らないこと。

さらには、管理が行き届いているようで実は結構穴がある社会の仕組みにも気づかされる。現代人の生存/死亡は、地域の役所がちゃんと把握しているものだと何となく思っていたが、実は状況によっては、誰にも知られずに死ぬことだって可能なのだ。そうすると日本の人口や平均寿命などの公式データもなんだか怪しく見えてくる。

人々がゴシップに求める効用が、「普段伺い知れない他人の生活や行動を覗き見る快感」とか、「誰にも咎められずに思い切り他者を批判できる爽快さ」にあるとすれば、もはや通常のニュースだけで需要は足りている。芸能人の話題づくりに付き合っている暇はない。

問題は、こうしたニュースがゴシップと同様、忘れ去られるのも早いということだ。深刻なニュースであってもゴシップの一つとして、すごい勢いで消費されている。「今年は変な事件が多いな」と毎年思っているが、さて去年、一昨年は何が起こった?と改めて問われると、さっぱり思い出せない。たぶん年のせいじゃない。おおかたの日本人がそうなのだ。


【後記】
これは昨年の夏に書いた文章。上記の事件、「そんなコトあったっけ?」とまでは行かないが、普段思い出さない人が大半になっていることは間違いないですね。

さて、この文章を提供した《2535》雑誌が編集リニューアルしたので、このコラムはこれで終了。最初は「日本についてなら何書いてもいいんで」と言われたので、東京のそこらを歩き回ってネタを集めたが、途中から毎月「テーマ」を提示されるようになった。ワクを守りつつ、どうやってこっちの好き勝手なことを書くかというのも、結構楽しかったなあ。
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by uedadaj | 2011-01-23 18:53 | 散歩 | Comments(1)
Commented at 2011-02-09 09:17 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。


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