【2535】代代木停車場的「井然有序」(日本語版)

(台湾《2535雜誌》2009年6月号掲載--掲載文は繁体中文)



代々木駐輪場の「整然」

JR代々木駅のすぐ西側を南北に走る通りの辺りは、もともと予備校や専門学校が多い学生の街である。ここ数年前、隣の新宿から商業圏のにぎわいも広がってきた。住宅地とも近いので、自転車でこの辺へ通学したり、遊びにくる人も多いようだ。僕の記憶が正しければ、この通りの2,3軒専門学校が並んだ付近は、ちょっと前まで歩道に多数の自転車が所狭しと駐輪されて、しばしば歩行のジャマになった。

だが、久しぶりにこの辺を通りかかって驚いた。いつのまにか有料の駐輪ラックが設置され、乱雑に置かれていた自転車がすっきりと収まっている。しかもラックが途切れている所にはほとんど停められていないという行儀の良さ。

一般に、日本の都市部の駐輪マナーは、余りいいとは言えない。たとえばここからほど近い新宿駅南口近辺の甲州街道脇の歩道は、「バイク、自転車を置くな」という警察の張り紙が数メートルごとにあるにも関わらず、ここ一帯すべてが正式な駐輪場かと思うほど延々と自転車が並んでいる。他の多くの繁華街でも、歩道が即駐輪スペースになり、収まりきれない場合は列からはみ出してどんどん歩行スペースに浸食する。

ここ代々木もそうした場所の一つだったと思うが、一旦こうした駐輪場ができてしまうと、決められた場所に整然と停めようとする。金がもったいないからラックのない所にこっそりと停める人がいても良さそうに思うが、そんな人はほとんどいない。いや、素晴らしいことなんだが、どうもこの変わり身の早さが釈然としない。

しばらく考えて、思いついた解釈がある。一見正反対のように見える駐輪の態度も、実は同じ行動原理に従っているだけじゃないか。つまり「既にそこにあるルールを優先する」。ルールとは、公的に定められた条文とは限らない。その場の状況が暗黙のうちに示すルールもある。「ここには(他の人がやっているように)勝手に自転車を置いても良い(または、誰も置いてないから自分も置かない方がいい)」というのも、今そこに自転車を乗り付けた人にとっては、立派なルールの一つとなる。

人は規制を嫌い、自由に憧れる。だが自由とは、極めて手間がかかるものでもある。自分が自由に振る舞おうとすると必ず他人の自由と衝突し、膨大な調整が必要になるからだ。かなりの能力と時間、そして手間を厭わない精神構造が必要になる。現代の日本人の場合、ルールを創る能力があるかないか以前に、「面倒や手間を嫌う」気持ちが強い。だから、既にルールがあれば、多少不本意でもそれを流用する。存在しなくても、できれば誰かがルールをつくるのを待つ方がいい。そんな気持ちが強いのかも知れない。

さて、ちょうどこの地点から線路を挟んで反対側付近に位置する、新宿南口の高島屋の麓を歩いていると、ある一角が工事現場のようにプラスチックのポールで囲われているのに気がついた。ポールには、張り紙がしてある。

「この場所において、バイク進入防止および二輪車駐輪場整備工事を行います」

庶民のご期待に応えて、また一つのルールが出現するというわけだ。


(中文版はこちら
[PR]
by uedadaj | 2009-07-11 17:38 | 散歩 | Comments(0)


<< 网络 と 網路 油切 >>