【2535】「明日的神話」的裂縫(日文版)

(台湾《2535雜誌》2009年2月創刊号掲載--掲載文は繁体中文)





昨年秋。京王渋谷駅ビル「渋谷マークシティ」からJR渋谷駅へ到る通路に、巨大な壁画が出現した。著名な画家・岡本太郎(1911-1996)による「明日の神話」である。

岡本太郎が活躍したのは1960〜80年代だが、今でも人気は根強い。その彼が最盛期の1968年にメキシコで製作した生涯最大の作品が「明日の神話」だ。40年近い所在不明の期間を経て里帰りを果たし、渋谷に「恒久展示」されることになったという。

この絵のことは以前から知っていたので、公開早々に見に行った。引っ切りなしに通る人波の中、立ち止まってゆっくり眺める人や、カメラに収める人も少なくない。僕もよくよく観察しようと近寄ってみて、思わず目を見張った。絵の至る所に、無数のヒビが入っているのだ。

完成後すぐにメキシコの某所に打ち捨てられて手入れもされず、日本に運んで展示するまでに膨大な修復作業を要したそうだが、その跡が痛々しく残っているのだ。分断されていた跡とはっきりわかる個所も多い。

名のある作品がいつでも誰でも鑑賞できるのは良いことだと思う。しかし、この設置場所は、従来の美術品に対する常識からは考えがたい環境だ。2つの駅につながっているから、電車がすぐ近くを通って絶えず細かく振動するし、半屋外の人通りが多い場所なので、温度、湿度の変化も激しい。そんな中に、ガラスなどで囲うこともなく、むき出しで展示されている。これは、自分の作品をそのまま鑑賞されたいという作者の意図に沿うものだが、長年の間に絵が被る影響は小さくないはずだ。

こんな傷を負った巨大な絵を、関係者はどのように守っていくつもりだろうか。答えはおそらく、「技術とコストを惜しまず、展示当初の姿を保つべく努力する」だろう。だが、どんなに努力しても、保存の限界に来て展示どころではなくなる可能性も考えざるを得まい。このヒビ割れを見て僕が思ったのは、作品に「天寿を全うしてもらう」という考えもあるんじゃないかということだ。

芸術を「永遠」「永久」という言葉で語りたがる人は多い。確かに何世紀も生き残ってきた作品の中には、その後も長く受け継がれるものもあるかもしれない。だがそれとて、製作当時から永遠を前提にしていたわけではないだろう。いろんな要因が重なり、結果的に生き残ったにすぎない。その背後には、同じ水準にありながら消えざるを得なかった無数の作品があるはずだ。だが、「芸術は永遠の命を持つ」という考えに取り付かれた我々は、作品の耐久性や人の感性のうつろいを考えず、今ある芸術を簡単に「永久に」残そうとする。これって芸術にとって、果たして幸せなのか。

どういう方法がいいかはわからない。でも、傷み放題の状態になってなお、衆人の目にさらし続けるのが望ましいこととは思えない。だったら「永久」にこだわらず、普通の感覚で納得できる方法で作品に充分敬意を尽くした後、静かにこの世から消えてゆく道筋を付けてやることもできるんじゃないか。

とは思ったものの、別にそんな心配は無用かもしれない。「永久に」という発想自体が、一時の流行でないとも限らないし。

(中文版はこちら
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by uedadaj | 2009-02-23 11:55 | 散歩 | Comments(2)
Commented by T.Fujimoto at 2009-02-26 00:01 x
なるほど、深いテーマですね。解説されてみると、なんとなくのレベルですが、理解できたような気もします。
「永遠」とか「永久に」自体は神話に過ぎないので、一期一会の縁を大切にしながら、(無理矢理延命処置をとらず)目の前にあるその作品の生老病死を普通に見送るのも、あっておかしくないということですね(?)
Commented by uedadaj at 2009-02-26 20:06
え、はい。そう言う感じです^_^;読み返してみると、面倒くさい文章ですよね(笑)


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